言うのも恥ずかしいことだが、わたしたちは弱すぎたのだ。もしある人があえて誇るなら、わたしは愚か者になって言うが、わたしもあえて誇ろう。
人は言う、「彼の手紙は重味があって力強いが、会って見ると外見は弱々しく、話はつまらない」。
いま言うことは、主によって言うのではなく、愚か者のように、自分の誇とするところを信じきって言うのである。
こういうわけで、離れていて以上のようなことを書いたのは、わたしがあなたがたの所に行ったとき、倒すためではなく高めるために主が授けて下さった権威を用いて、きびしい処置をする必要がないようにしたいためである。
ほめられても、そしられても、悪評を受けても、好評を博しても、神の僕として自分をあらわしている。わたしたちは、人を惑わしているようであるが、しかも真実であり、
わたしが少しばかり愚かなことを言うのを、どうか、忍んでほしい。もちろん忍んでくれるのだ。